ライプツィヒの女神たち

学生ビザ申請のために尋ねた外国人局は外にアラブ系の人々が溢れ出ていたのですが、脇を通り抜け一階のロビーへ。

ここの待合のベンチは既に埋まり、座れない人たちが部屋を埋め尽くして、掲示板に表示される番号を睨んだり、伏せたり喋ったりしていました。

殆どがアラブ系、そして黒人、東南アジア系、東欧スラブ系といった人たちが入り混じって、ビザか他の用かを待っているのです。

掲示板と案内を何とか判読し、学校からの案内のあった者の学生ビザの発給は2階に回る事が分かったので、群衆を気にせず奥の階段に進みました。

2階に上がると横並びのオフィスに、これもまた廊下に長蛇の列ができていました。

「今日中にビザは取れるのだろうか?」

「この人達は何の用で並んでいるんだろう?」

「ドイツで手続きするときはいつもこんな事になるのか?」

不安で頭がいっぱいになっていきます。

ひとつの部屋の前に案内人が立っていて、学生ビザの仮申請証をもらうように言われたと伝えるとこちらへ並べとひとつの列の最後尾を指定されました。

その列に並ぶと、列の折り返した向かいに菊の御紋の赤いパスポートが見えて、思わず

「日本の方ですか?」

と言うと、

「ゴメーン私この町すぐ出ていくので…」

という謎の返事に、僕はおそらく顔が???となったのでしょう。

声を掛けた人を見ると、美しい日本人の女性が、気まずい顔をしているのでした。

後に分かっていくのですが、ドイツにいる日本人女性は多少なりともフィジカルに整っていると人種関係なく異様にモテるのです。

この女性、ミキさんという方も始終ナンパされているので即断りが習慣ついており、僕がナンパで声掛けしてきたと思ったようでした。

さて、僕の顔を見返して彼女はおそらくナンパではなかったと分かり態度を改め、

「日本から来られたばかりですか?なにかお困りですか?」

というところから始まって数日間、彼女にライプツィヒのあちこちに連れていってもらい、生活の基盤がすっかり整うことになっていきます。

僕は人生で何人もの占い師と知り合っていますが、彼女ら(全員女性)は僕を見るなり一様に似たようなことを言います。

「ああ、あんたは大丈夫。いつも誰かが助けてくれる」

のんきそうな顔がそう言わせるのかどうか分かりませんが、そうだと助かるので信じることにしています。

占い師と同様に、僕の人生には何人もの謎の美女が登場(そのうちの一人とは結婚した)し、何かと世話を焼いてくれるという展開があります。ワイマールのノリコさんも相当な美人でした。

「どうした?」

同伴していた東洋人がドイツ語でミキさんに声を掛けましたが、背の高い男性は最初僕をかなりイヤな目で見ていました。

直後に彼はミキさんに同行している韓国人で友人であると知りました。

ミキさんは男に声を掛けられるのを減らすために、出掛けるときは既婚者の男性に同伴してもらうことにしていたのです。

彼女は今までライプツィヒ大学に通っていて、編入してこの先はハノーファーかどこか西の方の大学に移るためにこの外国人局に来たそうです。

僕が学生ビザの申請に来たこと、そのビザを使って学生寮を決め、銀行で口座を作り、学生保険を組まないといけない事を話しました。

「私は寮を出て友人のところに泊まっていて次の町の寮に入れるまでしばらく予定が空いているから、手伝いましょうか?

2時間かけて学生ビザの申請と仮証明をもらうと、待っててくれた彼女(同伴の男性は帰っていった)に連れられて、学生生協に向かいました。

ドイツの事務系スタッフののんびりぶりは日本では考えられないレベルなのですが、どこの国でもそうだったと聞くので、おそらく日本が地球上で一番セカ

セカしているのでしょう。

ライプツィヒの外国人局も学生生協もドイツ銀行もミキさんという降って湧いた救世主のおかげでその日のうちに用事が済んでしまいました。

住居は郊外のギャルトナー(庭師の意味)通りの学生寮に決まり、ドイツ銀行で口座を開き、学生保険に必要なものを揃え、夕方になるとミキさんは先程の友人(韓国人男性)にホームパーティーに誘われたから一緒に行きませんか?と言われました。

はい行きます、が、何をどうすればよいやら。

ドイツでホームパーティーは基本持ち寄り、割り勘などはしないという事でした。

手土産の定番はチョコレートやワイン。お店で僕はワインを、ミキさんは焼き菓子を買ってその友人宅に向かいました。

着くとどうやらここも学生寮。韓国人の友人は先程とは打って変わって笑顔で迎えてくれました。

入ると東洋人が4人、奥さんと韓国の友人でした。夫婦で学生寮に入っている、これは新鮮でしたが、ドイツでは結構あることだそうです。

今でもそうか分かりませんがドイツは学生天国と言われ、何につけ学生を優遇しているのです。

大学は無料、格安の寮と健康保険、定期やレールパス、観劇の学割のタダ同然になる割引率、公共サービスも学生無料のものが多くあります。

そして留学生も本国の学生と同じ扱いになり、海外からドイツの大学に流入し、一旦入ると居心地が良くてお金がかからないといったメリットがありすぎて、学生が大学に居着いてしまい28歳くらいまで卒業しないのも珍しくありません。

長いあいだ専門分野を勉強するので、就職すると最初からベテランと対して変わりない働き方を要求されるとのことです。そして給料は安く、年功序列では上がっていかない(かといって成果報酬でもない)。税金も社会保障費も高い。

それで余計に学生であることを延ばしてしまうのでしょう。十分猶予を与えてあげるから、そのかわり大人になったらシビアな現実に適応してね、という社会モデルは日本とまったく違っていて面白いと思います。

それで、この韓国人夫婦も国には帰らず学生のままで寮にいる、という事でした。ホームパーティーは、何しに来た、ここで何やってる、という類の話を片言英語で話しながら夜がふけるまで続きました。

明日から寮に入れるのでホテルから移動です。寮はカラなので生活雑貨がいる。

ミキさんは帰りの路面電車の中で

明日IKEAに行きましょう。

と言って停留所で僕を降ろし、さらに真っ暗な郊外へと行ってしまいました。

ホテルから学生寮に移り、ミキさんと合流し郊外の路面電車に乗ってIKEAに向かいました。

ドイツも日本と同じで大型店は郊外にあります。路面電車は町の中央から住宅街を抜け、家がまばらになってサイロの立つ田園風景なっていきます。

路面電車に乗っているとドイツの町の成り立ちがよく分かります。町中は6階建てくらいのアパートが多く、簡素で暗い。時々アールヌーボーの建物があったり派手な看板があったりしますが、元東ドイツで2番めに大きかったこの町は、それが信じられないくらい地味です。

ところどころにある廃墟化した工場がこれまた街の印象を暗くしています。それらはドイツ統一で廃業した東時代の製造業跡で、再開発する目処も立たずそのまま放置されているようです。郊外は野原か畑。

日本にいるとドイツはヨーロッパでも近代的で経済は安定した印象で語られることが多いのですが、ここ東エリアの失業率は18%と高く、人々の生活はそれほど安定しているわけでもなさそうです。

そして表情が暗い。2日に1日は曇りまたは雨、というのも関係しているのかもしれません。

隣りに座るミキさんは小柄なのに明るい表情をしているので目立ちます。日本人女性に人気があるのはいくつか理由がありますが、まずこの表情があるのかな、と思います。

ドイツで会った日本人女性は大抵(おそらく日本にいるときより)オープン・マインドで、悲壮感と厳しさを宿らせた東ヨーロッパ人特有の顔とはパッと見印象がぜんぜん違って、健康かつ魅力的に見えます。

ラテン系の女性も明るいので周りから愛されるのですが押しが強く、寡黙で真面目なドイツ人男性とはマッチしづらい。

聞いた限りではヨーロッパ人男性にとってはスウェーデンの女性が圧倒的に人気があるとか。華奢でストレートのロングヘア、傘に長靴で寝起きみたいなぼんやりした目で妖精みたいに雨の中をふわふわフラフラ、こんな印象が典型的ですが、なんとなく分かるような。

スウェーデンの女性が別格だとすると次が日本人女性、そのくらい人気があります。共通点は肌が繊細できれいなこと、内気なこと、でしょうか。

ちなみに残念ながら日本人男性は全然人気がありません。出っ歯でメガネ、吊り目の印象。

こんな事を書くのも、こうやって人種別に見る・見られることで、相手にとって自分が何者であるか、日本ではないレベルで考えたり気付いたりしたのを思い出すからです。

自分が何者か、それを相手の印象から知ったら、自分のどこにアイデンティティを見いだすことができるのか、今まで向けなかった所に注意を向けることになります。

自分が何に属していて、そこから逃れられず、それを抱えて生きる。生き方は変えられるけど、抱えているものは勝手に下ろすことができない。

しかしそれを受け入れると、自分の好きではなかった顔や存在や振る舞いが何となく許せるような気になっていきます。

以前書いたのですが、日本がダサい、日本が嫌いで、自分の事もいっぱい嫌いな所があったのですが、帰国する頃には日本(国というより文化)も自分も好きになっていました。

そう気付くのも後々の事で、その時はIKEAに向かっているだけです。今では日本にIKEAが上陸して随分おなじみになり、同じような戦略で展開する起業も増えたので珍しくも何ともありませんが、20年前のIKEA初体験は僕には結構なインパクトでした。

フィンランド、オシャレ。ドイツ、クール。日本、やっぱり世界の田舎。

IKEAから生活雑貨を抱えて町の中央に帰ってくるときは、ようやくヨーロッパに入り込んだような気分になっていました。

やっぱり田舎者。コンプレックス。

寮生活をスタートする上でまず食料品を、という事でミキさんがドイツ生活での食料品の買い方のコツを伝授してくれました。

ワイマール滞在中は手がかりもなく自分で適当にスーパーで目につくものを買っていたので、パンと豚肉加工品、チーズに卵と偏った食生活になっていました。

僕は親父が朝ごはんはコメと味噌汁でないと許さないタチで、僕もすっかりコメ党だったのですがドイツでは手に入りにくいものだと決め込んでいました。 それが生米は簡単に手に入るものだった…。

シリアルコーナーに行くと「ミルヒライス」という箱の商品が山と積まれています。

パッケージにはミルクで煮る甘いライス・シリアルだと書いてあるし、写真もドロドロの白いミルク粥がスプーンですくわれているので、目に入っても自分には関係ないものだと思っていました。が、ポッキーサイズの箱を開けてみると中は生米。

コレを単に白米に炊けばいいわけか!これを知ってから帰国まで、基本このコメを主食とすることになりました。

知らなければスルーし続けるところだったのでこれは助かりました。

その他、ミネラルウォーターは高くつくので炭酸水をストックしておくこと(ドイツは炭酸水の方が安い)、パスタはバリラなどイタリア製を買ったほうが無難であること(ドイツ製の加工品は味がよろしくない)、塩、お茶、チョコレートや菓子類の避けたほうがよいもの…歯磨きペースト、洗剤のオススメなど、

生活してみないと分からないことばかり…。

寮に物を運び込むと、当面の生活は問題なしになり唐突に「ではお元気で…」とミキさんとはあっさりお別れとなりました。

ポツンと寮に一人残ったら、急に何をどうしたらいいか分からなくなってきましたが、もうすぐに入学です。寮は郊外で学校は中央駅の裏手。Sバーンというローカル線(日本では江ノ電や叡電みたいな)を使って25分かけて通うことになります。

お次はドイツ語学校入学からのお話。