優れる必要なんてない

自分がいつの間にか子の親で、教室を持っていて、技術の指導者になってしまいました。

親父が教員という教育者で、親父みたいになりたくないと思っていたのに。

一般的に教育者って、優れた人を育てる事に心血を注ぐように思います。

僕は自分の子供に、生徒さんたちに、別に優れようとしなくてもよいと伝えています。

そうではなく目標は素敵な人になってもらう事。

そのためには自分を好きになる必要があります。

僕は今まで自分の身体が好きだという人に出会った事がありません。

大抵はコンプレックスを持っている。

太かったり、シミがあったり、姿勢が悪かったり、痛みがあったり、顔の形が気に食わなかったり…。

そのコンプレックスを解消するために色んな先で対価を投じて、それに応じるサービスは、

「今より優れる(改善される)かどうか」

それらサービスは、今の自分に問題があることを直視させます。

今の自分が嫌いだということを。

僕はそれをしません。

それ故に僕の教育はそれらのサービスとは根本的に異なると思っています。

一方、子供にも、別に人より優れなくてもよい、と伝えています。

優れた人間の対極には、劣った人間がいます。

君がある分野で優れてくると、他の人のポジションを脅かす存在になるかもしれない。

しかし、君が素敵な人であっても、相手が素敵になる事を脅かしたりはしない。

それで、優れた人になるよりも素敵な人になる事を目指してほしいと伝えています。

同じく、僕の太極拳教室では生徒同士にコンプレックスが生じません。

素敵な人が増えていくばかりです。

僕はそう思っています。

理由は同じ。

僕が優れた生徒を育てようとしていないからです。