思考にストレッチをかける
うちにはテレビがありません。
僕は11歳の頃、両親に
「もうテレビは見ない」
と言って、それ以降僕はテレビを見なくなりました。
そのかわりパソコンが普及し、スマホが普及していったので画面からは逃れられてはいませんが…。
11歳のとき何を思ったか。
テレビを見ている兄と妹の背中を見て笑い声を聞いて、
「自分がこうだったらやだな」
と思ったからです。失礼な話ですが…。
これは僕の性格を反映していて、テレビに没頭する→楽しみに浸れるということがなく、リラックスするにも何となく周囲をうかがいながら、という感じなのです。
それが伝わっているのか、一対一で話すときも相手は何となく緊張感を持つ。
ある時、相手に「なんでそんなに黙るの?」と聞いたら、「オマエがお告げでも言いそうだからだ。なんか言うことが軽くない」とのことでした。
重いか。
修行僧みたいな人、と言われたことも何度かあります。
別にそんなつもりはないのに。
僕がとても軽快にコミュニケーションを取れるのは外国人と高齢者です。
この方々とはリラックスしてしゃべることができます。なぜか。
僕が圧倒的に知らない側だから。
逆に同年代、同業者と立場が似通うほど緊張します。
なんとなく相手の身辺に起こっていることが想像できるから。
というふうに考えていけば、僕を刺激する対象がはっきりしてきます。
「相手」のことを主体に考え、起きていないこと、「未来」を予測する傾向にある。
思考にそういう癖があるのだと思います。
今ブログで20年前のドイツ滞在中の出来事を書いているのですが、これがけっこうトレーニングになっています。
「自分」の「過去」という、普段の思考の癖の逆を思い起こすことになるから。
思考にストレッチをかけている感じですね。
今僕がこうなりたいな、と思うのは、「一緒にいて安心する存在」。
相手がうっすらと緊張して黙ってしまうことを融かしたい。
失敗や恥ずかしさに目を向けてこなかった事が、このコントロール不可能な緊張と関係ある感じがしています。
自分の過去に目を向けるのがカギな気がして、実践しているところです。